明け方3時は、まだ暗い。

美大受験生のひとりごと。

御母堂は黎明を望む

 

私の癖の強い御母堂の話を聞いてほしい。

というか、私が話したいのでするね←

 

 

私は親ガチャに成功した方なのだと常々思っている。

それは、色々な友人の家庭事情の話を聞いていれば差は明らかだった。

我が家は必要だと言えばある程度の物は買ってくれて、高くて良い服も着させてくれる。私がやりたいと言った事は基本的に賛成してくれて、思いっきり出来る環境まで整えてくれて、その上応援までしてくれる。金銭的な心配もしたことなければ、不仲の心配もない。非がないどころか、素晴らしい家庭だと自分でも思う。

けれど、私の両親は良くも悪くも厳しかった。

小学生の頃から、問題が起きれば尋問のように一から十まで詳しく説明させられ、都合の悪い事も問答無用で暴かれ叱られた結果、私は嘘がつけない性格になり。やりたい事をやらせる代わりに一才の妥協は許さないし、中途半端にやろうものならそれがいかに無駄な事なのかを真剣に(故に威圧的に)諭された結果、私はやりたくない事が絶対に受け入れられない諦めの悪すぎる人間へと成長していた。

 

 

浪人においても同じだ。私の両親は基本的に浪人を容認してくれている。

容認……というか、芸大に受かるまで私に付き合う覚悟を決めていると言っていた。(この話は現役の時から変わらずされていた。)

裏を返せば、「浪人しても良いけど、浪人するってことはそれほど行きたい理由と、必然性と、絶対受かる覚悟、やり切る意思があるんだね??」という事なのだ。

 

最初の頃はゴロゴロいた同級生も、四浪もした今ではもはや私以外見当たらない。皆基本芸大第一志望で、その狭き門を突破出来た者は少数。その他大半の同級生は「金銭的に」「親が何浪までと言っている」「ストレスの限界で」と言って滑り止めの大学に進学していった。

私が「親が何浪してもいい」と言ってくれている、と言えば皆「理解してくれているんだね。」とか「浪人許してくれるなんていいなー」とか言うけれど、それは学歴主義で完璧主義な親を持った大変さを知らないから言える事だ。私にとっては「何浪までね。」って他人に理由を擦りつけて諦められる方がよっぽど羨ましい。ーー他人のせいにして簡単に楽になれるのだから。

 

他人のせいにもできず、諦めることも許されず、惨めでも苦しくても未来を信じて走り続けなければならない。

そういう厳しさと、覚悟を持った人こそ私の母親だった。

 

そしてそんな母親に育てられた私も、望んだ未来は是が非でも叶える、そのためには自分で考えて動いていく。

諦め悪く四浪し、ストレス耐性は人一倍あるタフネスに育て上がっていた。

 

……ぶっちゃけ顔で丸め込めるかわいい女に憧れなくもなかったが

 

まぁ逞しく後悔なく地に足ついて生きていけているので、そんな感じでよしとしておこうと思う。

 

 

 

mashiro.